共食い他責の日本人

私はこの自粛期間で日本人がいかに民度が低く、いかにダブルスタンダードが大好きで、いかに自己責任論を追求しつつ他責にするかということがわかった。
非常に悲しいことですが、日本人の集団的性格の悪さは世界大戦の時から何ら変わっていない
大戦を通して反省すべき第1の点である全体主義、特に民衆レベルで言うとこの同調圧力をかけて過度な村八分を行う」といった点も全く改善されず、現代に反映されていたことは実に嘆かわしい。

そして、この自粛期間は度過度な同調圧力村八分により、1人の若者を殺してフィナーレを迎えた。しかし、私は思う。このフィナーレは前哨戦でもあるのではないかと。この民族がまだ人を殺したがってるんじゃないか。もっともっと多くの人を傷つけて責任をその度に追求して、居場所を奪って追い詰めて殺しては、また人のせいにしていくんじゃないか、と。
普段日本人は、個人となると自分の意見も言えないくらい人を気遣い、優しくし、柔和なタイプが多いが、集団となるとそうでもない。
この日本人というものは、あるボーダーラインがくるまではいいよいいよと言う民族だが、何かスイッチが入ると恐ろしいほどに集団的に襲い掛かり、狂気へ走る傾向がある。それは江戸時代のキリシタン狩りや、第2次世界大戦中がわかりやすい例だ。生き埋めや熱湯攻めに始まる地獄級の拷問も命をモノにした特攻作戦も惨さと酷さを極める。歴史を通して、あるスイッチが入ってしまうと、狂気に走る民族だということを我々は勉強したはずでは無いだろうか。

そんなことも、その場しのぎの勉強のと思い、馬に聞かせる念仏のように適当に流して、特に深く考えず、生活していたんじゃないか。そうやってモラトリアムな人生をすごし、刹那的に生き、刹那的な快楽を求め、刹那的に感情をぶつける。一方受け取る側は刹那どころか一生忘れられないダメージを受ける。
人間は馬鹿だから、いつだって過ちを犯すし、過ちが起きたら過程に注目して過ちを考えないと立ち直れない。原因だけを追求したって、大体の物事その原因すらどういう要因で発芽したのか考えなければ根本的な解決には至らない。だが、感情的になるとそれを忘れてしまう。考えなくなり、眼中に置かなくなってしまう。結果的にとんでもない言葉を選び、とんでもない方法でとんでもなく人の心を傷つけたり、とんでもなく追い詰めて死に追いやったり一生を奪ったりする。
そう、我々は無責任な言葉で人生を狂わすほどの実力を持っている

そしてお察しの通り、日本人は「そういう」エリートになりつつある。誰もが裁判官だ。

誰もが自分の物差しで人をはかって、善悪を叩きつける。ひとたび自分の物差しが、マジョリティと分かれば、それが絶対的なものとなり、人を簡単に追い詰めて殺すことができる。私刑そのものだ。スゴい!
この国はどうやら民主主義らしい。
素晴らしい民主主義だと思う。なぜなら、民主主義という名の恐怖政治(もはや全体主義)を民1人ひとりがまるで国のトップであるかのように執り行っているからだ。
特にアカウントを持っていれば、もうそれだけで裁判官になりきることができる。素晴らしい!こうして内々に血で血で洗うような闘争日々繰り広げ、同調圧力をかけ、ハズレた人間に対しては、リンチをする素晴らしい世の中!

素晴らしい民主主義っていうんでしょうね。

しかしながら、はっきり言って、人間ってここまで成長しないんだなと思います。こんな民族だったんでしょうか。私は長いことTwitterを使っていますが、この数年の間でこんなにも文章の読めない人間が溢れこんなにも行間がわからない人間が増え、こんなにも知識がない人間が増え、こんなにも傲慢(自分があたかも法律そのものであるかのよう)な人間が増えたこと、非常に驚いていますし、嘆かわしいと思っています。
どうやら長い文章を読めない人が多いらしい。勝手に誰かが切り取り共有し、あたかも私の全てであるかのようにまき散らす。

でも、考えてほしい、誰かの物差しで切り取られたものはもう私の意見じゃない。そいつの物差しでそのそいつの意見である。私の言葉をつぎはぎした、とんでもない大泥棒の大嘘つきだ。
致命的に文脈を捉えられないのは、いつから始まったんだろうか。若しかするとずっと昔から始まってたかもしれない。だが、あまりにも個人のレベルまで文脈が致命的に捉えられない能力が落とし込まれすぎていて、意思疎通もままならないと思うような人間すら見かける。なんでそんな文脈になるのか、私が全くわからないけど、ねじ曲げた文にして、世の中に「こいつがいかに間違っているか」を声高らかに叫ぶ奴がいる。そういう人間に、はっきり言って、あなたは本を読んだことがありますかと聞いてやりたい。
そして、今まで黙っていたようなやつもある出来事が起こると口火を切ってその問題点について疑問を呈するようになる。問題を作っていたやつは今度は吊し上げにあう。いい気味だ、ざまあ見ろ!そしてお前も死んでしまえ。

だがよく考えてみろ、ホンモノの裁判ではそんなことがまかり通っているだろうか。

まかり通ってない。法律は感情的になった人間から見ると非常にゆったりしていて、無能でどうしようもないものだと思われがちだが、違う。どうしようもない人間なんだけど一番理にかなっていて一番感情を抜きにして、そこそこ公平に判断してくれる唯一の物差しだ。
いかに酷いことをしたからといって、すぐ死刑になることは無い。死刑になる前に学ばせ働かせ、反省する機会を与えているはずだ。長きにわたって裁判は行われるし、長きにわたって反省の機会が設けられている。時にはまた世の中に帰ってくる時もある。

 人の命を命を奪ったとしても、簡単に死刑にはならない。学ばせて反省させて働かせて真っ当な人間に戻るための訓練を受けることが多い。それと同じで、やはり学習、反省、労働を通して真っ当な人間に戻すための努力をしなくてはいけない。それしか改善策がない。二度と同じような人間を増やさないために努力を講じるしかない。スティグマを貼り続けてはいけない。スティグマを貼ることは理解を辞めることであり、理解されない人間は行き場を失い、新しい問題を育ててしまう。
そして、人を罰する者は法律を長きにわたって学び、難しい司法試験をパスしてやっと裁く立場になる。
人を裁くということは、とても難しく恣意的は判断は出来ない。長い年月をかけて法律を完璧に理解しなければできない。人を裁くのは法律の職人じゃないとできないないことだ。

なぜそれに気づかない。
なんでこんなに声を荒げるんだ。
なぜ素人が鬼の首を取ったように「刑」を実行するのか。



ミイラ取りがミイラになるように、誹謗中傷を批判する奴が誹謗中傷していることに気がつかないのか。

今集団でリンチをしている。

でも、お前らはめでたいから自分たちはいいことをしている、当たり前な事を言っていると思って、ひどく強い言葉を使って罵っていないか?

当たり前に罰せられることだ、当然の行いだと思ってそいつのプライバシーを一方的に探って晒して、社会的に追い詰めてはいないか?

お前のやってることはそいつのやった追い詰め方とどこが違うんだ。

頼むから考えてからものを言え、考えてから言葉を使え、考えてから人を責任もって追い詰めろ。

感情だけで動くなよ、猿じゃないんだから。
このままじゃ誇れない民族になる。そうなる前に自分たちを律してくれ。